皆さんどう思いますか。
似た問題として、「運転免許はないが運転はうまい人は、運転してはいけないか」というのがあります。
直感的に「良いわけないじゃないか」と思うでしょう。でも名医なのに、運転はうまいのに、何故駄目なのかが問題です。
どちらも、医療行為や運転にかけては名人なのです。つまりブラックジャックだったり(人気が有ります)、アイルトン・セナ(レーサー。免許持っていたと思いますが。どっちも古いですか)にもなれる人なのです。ですから、その人の行為だけ見ると、その人にとっては利益であり、治療を受けた人、車に乗せて貰った人にとっても利益なのです。また、その人の行為に限れば、特に社会に対する迷惑ではないのです。
なのに、何故やっては行けないのですか?しかも、何故「処罰」までされなければいけないのですか?不合理な禁止で、不合理な処罰ではないですか?
これが許されないことの論証方法として「一般化の論証」というのがあります。これは倫理学で使われる論証です。倫理学とは、やってはいけない行為を探求する学問で、法律学の兄弟のような、むしろ親のような学問です。
実は、最近、何かおもしろい本はないかと、東京地裁の地下の本屋さんに寄りました。場所が場所ですから、法律専門書ばかりでおもしろい本があるはずもなく、結局「法哲学」の教科書(小林公著)を大枚6000円で買ってきました。「学生じゃあるまいし、そんな本買うか?」と思われるでしょうが、趣味とは、無益であり、他人には理解し難い境地なのです。早速、越谷に帰る電車に揺られながら読んでいたら、草加あたりに来たときこの論証の記載にでくわしました。引き込まれてしまい、あやうく春日部まで行ってしまうところでした。
「一般化の論証」というのは、簡単に言うと、「ある人にとって利益になる行為(又はその行為に限定すれば社会の不利益にはならない行為)でも、それを皆がやり出すと社会に不利益を及ぼす危険がある場合は行ってはならない。」というものです。
「なんだ、当たり前ではないか。」、法哲学だ、倫理学だと格好をつけて、自分たちにとって利益でも、社会に迷惑をかけてはいけないのは当然だと思うでしょう。
次回、問題点をさらに考えてみます。
弁護士 山越 悟